茨城のドライバーはなぜアクセルを踏むのか
ここに書いてあることは自分の偏見と経験則のみが元になっているので、正確性については保証しません。
あくまで、個人的な偏見と経験則のみに基づいています。
自分の生活範囲、家族、友人にのみ基づいています。
茨城の交通事情について
茨城のドライバーは非常にマナーが悪い。
twitterにも書いたけど、50km制限の道を50kmで走ると、必ずといっていいほど「さっさとスピード出せ」って感じで後続車が車間距離を詰めてくる。
同乗者も、「さっさとスピード出せ!」って言ってくる。
茨城の道路において、制限速度とは一切意味をなしていない。いかなる道路も最低時速60kmは出さないと侮蔑と嘲笑の視線に晒される。
↓を参考にすると、制限速度は法定速度に優先され、守らなければならない。
http://t-words.jp/w/E588B6E99990E9809FE5BAA6.html
その規制を突破するには緊急車両になるしかないらしいが、どう考えても茨城の車全てが緊急車両になっているとは言えない。
http://t-words.jp/w/E7B78AE680A5E887AAE58B95E8BB8A.html
つまり茨城のドライバーは法律違反をすることが当然であり、法律を守ることは悪と考える傾向にある。
茨城のドライバーは「田舎のドライバー」「DQNドライバー」と言い換えてもいいかもしれない。
地元に帰って車を運転するたびに、DQNパッシングと後部座席からの怒号に晒されるのが非常に納得行かないので、なぜ茨城のドライバーはアクセルを踏みぬくのか考察してみた。
この考察は自分の観測範囲のみが基準となってるから、その他はわからない。
ちなみに実家があるのは、土浦駅から制限速度を守った車で1時間くらいかかる場所。
DQNドライビングで何分掛かるかはわからぬ。
俺は18歳まで茨城で過ごして、運転免許を取得して、翌月には上京してる。茨城ドライバー歴は非常に少ない。
茨城の車事情
↑に書いたみたいに、実家がある当たりは駅から遠い。バスもほとんど通っていない。公共交通機関がほぼ死滅している地域だから、移動には車が必須となる。
一家に一台車なんて生ぬるい。
一人一台、もしくは仕事用でそれ以上を所有している場合が多い。
車を使わない日が無いため、ドライバーはほぼ全員が「車の運転に慣れている」と考えているだろう。
茨城の県民性
田舎の人間は特出することを嫌っている。日本人的な「出る杭打たれる」という考え方。つまり和は美しくなければならず、見だすことを嫌っている。
そのため、「皆がスピードを上げているから自分もスピードを上げなければならない」「車の流れに乗らなければならない」という強迫観念が存在する。
「皆が制限速度を守ってないから、自分も守ってはいけない」という考え。
どちらかと言えば「誰かだって制限速度を守ってないから、俺も守らない」という考え。
ついでに、「あいつだけが制限速度を守らずに得をしている」という考えも持っている。
つまり、誰か一人が得をすることを望まず、自分も得をしたいと考えている。
運転における損得
人間の行動理念として一番わかり易いものは損得だと思う。
茨城のドライバーにとっての損得を考えると、多分答えが見えるのでは無いだろうか。
- 速度制限を破ることで得になること
- 目的地に早く到着する
- 車を抜かすことは快感である
- 自分のドライビングテクニックを他者に見せつけることができる
- いわゆる厨二病と同じく、法律を守ることは恥であるため、恥をかかずに済む
- 初心者と思われない
- 速度制限を破ることで損になること
- 事故を起こした場合に自分が不利になる
- 警察が網を貼っていた場合、捕まる恐れがある
- 制限速度を守ることで得になること
- 最低限の安全を確保できていると考えられる
- 速度制限を守ることで損になること
- 道路事情によって到着速度が制限される
- つまり、出発時刻が制限される
- 時間に大きく拘束される
- 車列を作り出してしまう
ドライバーの時間的な拘束
ざっと考えてみたが、「制限速度を守ることで得になること」があまり無い。
逆の場合、わかりやすい利益として「時間」がある。
制限速度を守るということは目的地へ辿り着くためのMIN値がほぼ固定されてしまうということだからだ。
制限速度を排除することで、アクセルを踏めば踏むだけ目的地へ早く到達することが出来、時間的な拘束を少なくできる。
これは茨城のドライバーにとって大きなメリットである。
なにせ、彼らが時間通り出発することはほぼありえない。
ループとしてはこうなる
- 予定より遅く出発する
- 目的地に到着したい時間が固定されているため、アクセルを踏む
- 結果として間に合う
- 次回の出発予定時刻が遅くなる
- 最初に戻る
ドライバーの厨二病について
茨城のドライバーにとって、「初心者」と思われることは何より苦痛である。
なぜなら、ドライバーほぼ全員が「慣れている」と自負している県民性のため、そこから外れるわけにはいかないのである。
一番わかり易い「初心者」とは、間違いなく教習車だ。教習車は当然ながら制限速度を守って走っている(少なくとも、自分が通った教習所では制限速度厳守だった)。
ここで、法定速度を守る=教習車=初心者という等式が成立する。
法定速度を守ることは、初心者だと大々的に宣伝することになる。
また、教習車は車列を作ることが多い。数十台の車を引っ張るとか、ままある。それも「初心者」と関連付けされ、「車列を作ることが恥」という性質につながる。
周囲の車両に「運転初心者」と思われたくないため、アクセルを踏み込む。
ちなみに、駐車場であればバックで駐車しなければならない。
茨城とはそういうお土地柄だ。
警察に対するリスク
安全運転を心がけていようが、猛スピードを出していようが、比率はともかく事故は起こる。
だけど、猛スピードを出している場合にのみ背負うのが警察に捕まるリスク。
ところが茨城ではこのリスクが少ない。
少なくとも、厳守するほどの理由にはならないようだ。
何故ならば、警察が取り締まる速度は「制限速度+20km」のため、それが茨城ドライバーにとってのしきい値となる。
茨城のドライバーが「50km」の標識を見た場合、脳内では「70km」に変換される。さらに、10%程度は誤差として認識しているため、約80km程度まで加速することとなる。
算数が得意なドライバーは+10%の誤差を認識した上で+15km程度(時速65km程度)の速度で運転している。
ちなみに法定速度が「60km」だと知っている場合、彼らの脳内では「いかなる道路も60kmまでは出していい」と都合よく解釈されている。
制限速度を厳密に処理した場合、茨城の道路はそれこそ入れ食い状態なのだろうが、年度末のキャンペーン期間中くらいしか取り締まられたって話を聞かない。
ちなみに、取り締まられた場合決まって「ふざけんな!みんな出してんだろうが!!」って言う。あと、「くそ、ついてねぇ!!」って言う。
反省?なにそれおいしいの?
交通事故が起こった場合のリスク
大抵のことは金と人脈で解決できる。保険屋さんとかそういう意味ではなく、仮に無免許運転だとしても警察内部の知り合いに話を通してどうにかしてしまう。
地獄の沙汰も金次第である。
どうかしてる。というか、無免許運転はさっさとブタ箱へお入りください。
免許不携帯でなく、無免許運転ね。
無免許でもあのへんはどうにかなるって、どんな世紀末だよほんとに・・・
対人だけは多分どうしようもないけど、対物はどうにでもなる社会。
安全運転とは
彼らがいう「安全」とは、自身の得の上にのみ存在する。
目的地へ遅れる「損」の前に他者の安全は優先されない。もちろん、自身の安全も優先されない。
「事故ったらどうするんだ?」って聞いた場合、彼らは「事故らないから大丈夫」と答える。もしくは「制限速度を守ったほうが事故る」と答える。
彼ら(も自分も)統計を確認したわけではないだろうが、間違いなく制限速度は悪であり損と捉えている。
彼らに制限速度を守らせる、もしくは守ったほうが得と思わせるには、リスクを大きくする必要があるだろう。
制限速度一発免停とか、そういうレベルのリスクを与えない限り、多分彼らは今日もアクセルを踏み続ける。